最高裁判所大法廷 昭和25年(オ)131号 判決
検察庁法一四条但書に、法務総裁が検事総長の外検察官を指揮することができないというのは、個々の刑事々件の取調又は処分に関してのことであり、国の利害に関係のある訴訟についての法務総裁の権限等に関する法律六条一項に法務総裁が行政庁を指揮することができるというのは、国の代表者としてする訴訟に関してのことである。両者は全く別個の問題についての法規であつて、所論のように一般法特別法の関係にあるのではない。従つて法務総裁が後者の法律(六条二項)に基き訴訟を行わせるために所部の職員を指定する権限を、前者の法条を論拠として否認することはできない。それ故原判決が、法務総裁から被控訴人の訴訟代理人に指定された環昌一外二名を訴訟代理人として適格であるとしたことには所論のような違法はなく、論旨は理由がない。
上告理由二乃至七について。
しかし、憲法三二条の「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。」との規定は、刑事においては、訴追に基いて、被告人として裁判所の審判を受ける権利を奪われないことをいうものであつて、国家機関でない私人である被害者又は一般人に訴追の権利を享有行使せしめる、いわゆる、被害者訴追主義又は一般訴追主義を保障した規定ではない。わが憲法上刑事訴追を国家に帰属せしめ国家機関をして行使せしめる、いわゆる、国家訴追主義を採るべきか又は私人訴追主義をも認むべきかは立法機関に委かされた立法政策の問題である。そして、わが訴訟法は刑訴二四七条において、「公訴は、検察官がこれを行う。」ものと規定して、原則として国家訴追主義のみを採用し、ただ同法二六二条乃至二六八条においてその例外を認めているに過ぎないのであつて、右例外の場合を除く外犯罪により害を被つた者は告訴(又は請求)をし、また、一般私人は告発をして、単に、検察官の公訴の職権発動を促し得るに過ぎないのである。
わが国法上検察官の不起訴処分に対してはその監督官に対し抗告をするか若しくは検察審査会に対しその処分の当否の審査を申し立て得るに過ぎないのであつて、民事訴訟乃至行政訴訟を提起することは許さないのである。されば、原判決が本訴請求を畢竟請求自体裁判所の裁判権のない事項を目的とするものとして却下する旨の結論を為す迄の判決理由の説明は、結局正当であつて、原判決には所論の違憲違法はこれを認めることができない。それ故、論旨は、いずれもその理由がない。
以上説明するように本件上告は理由がないからこれを棄却することとし、民事訴訟法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。
(裁判官 田中耕太郎 霜山精一 井上登 栗山茂 真野毅 小谷勝重 島保 斎藤悠輔 藤田八郎 岩松三郎 河村又介 谷村唯一郎 小林俊三 本村善太郎 入江俊郎)
上告人の上告理由
一、原判決は、被控訴人(被上告人)の代理人環昌一外二名は、国の利害に関係のある訴訟についての法務総裁の権限等に関する法律(以下略して「法総権」とする)第六条第二項に照して適格のものであるとした。然し、本件訴訟の原因をなす犯罪事件の不起訴処分は、検察庁法第一四条但書にいう箇々の事件にかかる処分である。故に之に関しては、法務総裁は検事総長のみを指揮することが出来るだけで、直接に検察官に対して兎角の命令を発することは出来ない。そして検察官(検事総長を含む)は、検察庁法第二五条に依つて身分が保障されているから、箇々の事件の処分については、法務総裁の指揮下に在る検事総長と雖も意思を抂げてその命に従はなくてはならぬということは無く、又法務総裁はその不服従をどうすることも出来ない。即ち検察官は他の一般行政官と異り、上官(法務総裁)に対し此の点に於て独立権を保有しているのである。然るに原判決に従うときは、法務総裁は、右検察官の独立権に覊束される所無く、「法総権」第六条第二項により、独自の認定で、法務府の職員を指定し、犯罪事件の不起訴処分に関する行政訴訟を検察官たる検事総長に代つて行わせることが出来、所謂箇々の事件の処分に関して、検事総長を指揮して行わせるのと比較にならぬ自由の行動がとれるようになる。故に原判決は、検察官を法務総裁の指揮権から或る程度独立せしめ、箇々の事件に対する処分を検察官独自の意思と責任とに於て行わしめる為に設けた検察庁法第一四条但書の法意に対して、反対の方向に走つたものといわざるを得ない。一体「法総権」第六条第二項は、総ての行政庁に通ずる一般的の規定であり、検察庁法第一四条但書は検察官に限る特別の規定だから、特別法たる後者は、一般法たる前者に優越するものと解すべきが正当である。故に、本件訴訟は、検察庁法第一四条但書による独立権に基き検察官たる検事総長又はその定めた代理人に依つて行うべきであつて、法務総裁の指定した代理人に依つて行うことは適法でないとすべきである。原判決は、此の点に於て過誤を犯した違法の判決である。
二、原判決は、控訴人(上告人)の請求を「請求自体裁判所に裁判権なき事項を目的とするものである」と断じて、之を棄却した。然し国民は、憲法第三二条に依り裁判を受ける権利を保障されている。故に如何なる場合でも、裁判を請求する権利が無いとされる筈はなく、又裁判所は、如何なる争訟でも総て裁判する権利が与えられているのである。(憲法第七六条、第八一条、裁判所法第三条等)だから、裁判所に裁判権の無い訴のあるべき道理は無い。ただそれがありとすれば、憲法で特定されたものだけである(裁判所法第三条)。然るに、原判決は、本件控訴人(上告人)の請求が、決して憲法第三二条の保障を受けて無い事項又は憲法で裁判所の裁判権から除外した事項にかかるもので無いに拘らず、敍上の如き判示をしたのだから、法律上の問題如何に拘らず、憲法第九八条に依り効力を有しないものと認めらるべきである。
三、原判決は、「我が法制の下に於ては、刑事々件の公訴は検察官が之を行うべきものであつて、検察官は、法令の犯罪構成要件を備えた場合、必ず公訴を提起せねばならぬ所謂法定主義が採られているのでは無く、訴追を必要としないと認めたときは、公訴を提起しないことも出来る。」、「犯罪の被害者が、検察官に対し告訴の出来ることは刑事訴訟法の規定している所であるが、それは決して検察官に起訴を義務附けるものではなく、控訴人のいうように、憲法が保障した基本的人権の不法侵害に対する国民の当然の起訴請求権即ち直接憲法に由来する国民の権利を認めたものという訳ではない」と述べ、「裁判所と検察庁の機能を截然区別した我が刑事訴訟制度の根本原則に前述の告訴及公訴提起権の性質を照し合せて考えれば、検察官を被告として、裁判所は行政事件訴訟を提起することはできない」、「畢竟請求自体裁判所の裁判権のない事項を目的とするもの」だと断じている。然し、此の判示は、国民の起訴請求権が憲法に由来するものであり、法律は国の最高法規たる憲法に基いて解釈し適用すべきものなることを思はざるの謬見から出たもので、現行憲法の下に於ては到底通用し得ない誤論である。その次第は以下に述べる通りである。
刑事訴訟法は、国家訴追主義を採り(第二四七条)、且つ起訴便宜主義を採つている(第二四八条)。そして之れ等を規定した条文は、旧刑事訴訟法と殆んど同一だから、その解釈適用も亦同一で差支なきが如くに見える。然し、旧刑事訴訟法は旧憲法時代の制定にかかるものであり、現行刑事訴訟法は現行憲法の施行に伴つて制定されたものである。故に条文は同一であつても、その意義は決して同一では無い。
旧刑事訴訟法の規定にかかる国家訴追主義は、天皇の統治権に基くものであり、起訴便宜主義は、その統治権の目的を達する上の便宜に基くものである。従つて、告訴の意義については、原判決の如く、告訴は検察官の公訴提起の職権発動を促すに過ぎないもので、検察官に起訴を義務附けるもので無いという解釈も一応は成立つのである。然し、現行刑事訴訟法は民主々義を基調とする現行憲法の下に制定されたものだから、従前の解釈をそのまゝ踏襲することは許されない。
現行憲法は、主権は国民に在り(憲法前文、同第一条)、国政は国民の厳粛なる信託によるものだとなし(憲法前文)、更に之が裡付として、基本的人権は永久に犯すことの出来ないものなることを保障している(憲法第一一条、同第九七条)。故に国家の機関たる検察官が、刑事訴訟法第二四七条により公訴を行うこと、同第二四八条により公訴を提起しない処分を行うことは、いづれも右国政(一部)を執行するもので、即ち国民の信託の本旨を実行するものなのである。此の点、同じく国家訴追主義、起訴便宜主義であつても、旧憲法時代のそれとは大に趣を異にする。従つて告訴の意義も亦次ぎの如きものとなる。
国政の信託者たる国民は、信託の当然の性質として、必要ある場合には、被信託者たる国家の機関に対し、信託の本旨に基く国務の実行を要請し得る権利を有する。従つて国家機関は、恣にその要請を実行しないで済ませることの出来ない義務を負う。今之を刑事の面についていうと、犯罪に依つて害を受けた者は、検察官に告訴して、公訴の提起(国務の実行)を要求する権利を有し、検察官は特別の理由が無い限り、その要求を容れて公訴を提起しなくてはならぬ義務を負ふ。(此の特別の理由があるか否かが問題となつたとき、その正否を判定するのが、行政裁判である。)そして基本的人権は犯すことの出来ない権利として信託されたものであり(憲法第九七条)、且つ保障されたものである(憲法第一一条、第九七条)。だから、本件訴訟の原因となつた住居侵入事件の如き基本的人権侵害の犯罪にかかる告訴については、国民の有する起訴要求権は頗る強大であり、検察官の起訴義務はそれだけ加重される訳である。その上、検察官は憲法第九九条で、憲法擁護尊重義務を課せられているから、此の起訴義務を忽せにすることは許されない。之が民主々義憲法の下に於ける刑事訴訟法の告訴の意義である。故に検察官は、国民から基本的人権侵害の犯罪にかかる告訴を受けたときには、明白且つ重大の理由が特に存し無い限り、之を不起訴にすることは出来ず、若し之を不起訴とした場合には、告訴人はその処分の正否を行政裁判に依つて判定して貰う権利があり、裁判所はその訴を受理して裁判をする権利が与えられているのである。然るに原判決は、国民の此の権利と裁判所の裁判権を否定したのだから、憲法の条文と精神から遊離した判決で、憲法第九八条に依り無効と認めらるべきものである。
仮りに原判決を認容するとすれば、主権は国民に在り、国政は国民の信託によるものだと憲法に明示されていても、実際は、主権の単なる譲渡か又は放棄をしたのと変る所が無くなり、又基本的人権の保障は、民法第一三四条の単に債務者の意思のみに係る停止条件附法律行為と同様となる。加之、検察官の専制が公認され、民主々義国家体制の一角が崩壊するという重大なる副作用が生起するのである。故に上告人は憲法第一二条前段の義務に鑑み、国民の自由と権利を保持する為にも、到底之を黙過することは出来ない。
四、上告人が、本件訴訟を起したのは、第一、二審に於て主張した如く、行政事件訴訟特例法に依拠したものである。故に原判決が控訴人(上告人)の請求を却下するについては、先ず以て、何故に行政事件訴訟特例法に依拠すべきもので無いかを明らかにせねばならない。然るに原判決は、一に刑事訴訟法をのみ援用して、現行法制の下に於ては、検察官の処分に対しては極めて例外的に属する職権濫用罪の場合の外は裁判所の審理を求める途が無いと説いているのみである。斯く、原判決は刑事訴訟法を偏重し、行政事件訴訟特例法を閑却しているのであるが、刑事訴訟法も行政事件訴訟特例法も共に一箇独立の法律だから、その一方をとつて他の一方を捨てるについては、根拠となる法律の規定が無くてはならない。然るに刑事訴訟法中には行政事件訴訟特例法の作用を抑止する如き条文は無く、又行政事件訴訟特例法中には検察庁に対しては此の法律を適用しないといふ規定は無い。その他別の法律に於ても右の如き規定は見当らない。だから、原判決の所説は甚だいはれ無きものである。更に之を条理の上から考へても、検察官は、刑事訴訟法に依つて告訴事件を不起訴処分に附することを得る権利を与へられてはいるが、その権利は間違つて行使しても、無制限に行使しても差支なしとされるものでは無い。故に検察官の不起訴権が不法に行使されたり、行使に行き過ぎがあつたりした場合には、行政事件訴訟特例法に依り裁判所に対して審理を求め得ることは理の当然と申すべきである。(検察審査会法は検察官の不当不起訴処分を匡救するを目的とする法律ではあるが、該法に依る審査は行政事件訴訟特例法第二条の「訴願」に該当するものであつて、行政事件訴訟特例法からすれば、行政訴訟の前駆となるものである。又刑事訴訟法第二六二条以下の規定は、特定犯罪の場合についてのみの特別規定である。故に是等の法文があつたからとて、行政事件訴訟特例法の作用が阻止されるものではない。)又行政事件訴訟特例法は、現行憲法の施行に伴い、従前行政事件に関し出訴事項を制限していた行政裁判法を廃止し、之に替うるに、総ての行政事件に関し裁判所に出訴し得るを建前として制定されたものである。故に立法の精神から見ても、国民は此の法律に依拠して、一切の行政庁の処分に対して訴を提起し得るのであつて、独り、検察庁のみが除外される訳は無い(御庁事務局行政部発行「行政事件訴訟特例法解説」七頁六行―八行参照。)以上述ぶる如き次第だから、原判決は法律を無視した判決だといはざるを得ない。
五、行政庁の自由裁量権に基く処分については、不当の問題は起るが、違法の問題は起らない。故に之に対して行政訴訟を起すことは行政事件訴訟特例法第一条の条文に照してゆるされないという議論も一応は成立つ。原判決が「公訴を提起するとせざるとは全く検察官の自由裁量処分に委ねられたもの、換言すれば裁判所は検察官が公訴を提起せざることの適否については判断をなし得ざるものといはねばならぬ」としたのは、或は此の理由に立脚したのかとも思はれる。然し、行政庁の自由裁量権なるものは、前項にも述べた如く、決して広大無辺のものでは無く、社会の通念上自ら一定の埒があり、その埒を越えて行使した場合にはそこに違法の問題が生じ、行政裁判の判断を受ける理由が成立つのである(前顕「行政事件訴訟特例法解説」七頁十二行―八頁一行参照)。処分の根柢となる事実の認定を誤つた場合の如き猶更のことである。抑々本件訴訟は、検察庁が上告人の告訴にかゝる犯罪事実の明白なる住居侵入事件を不起訴処分に附した為、検察庁の措置は、全然事実の認定を間違つたものであり、又然らずと仮定しても、社会の通念に依つて定まれる自由裁量の埒を越えた違法の不当処分だから、その匡救を求める為提起したものなのである。然るに、原裁判が、第一審に於て被告(被上告人)が原告(上告人)の主張する犯罪事実を全面的に認諾したることを等閑に附し、而も前に犯罪事実の存否及び犯情その他につき審理を行うことをなさずして、イキナリ検察官の不起訴処分は、自由裁量権に基くものだから裁判所はその適否を判断し得ないというような判示をしたことは、法律の解釈を誤り、且つ事実に基かざる裁判で、違法の判決たるを免れない。若し、仮りに、原判決のいう所を正当なりとすれば、他の行政庁の同様の処分に対しても亦裁判所に裁判権が無いことになり、行政庁の自由裁量処分の行過ぎを行政裁判に依つて匡正することは不能になるのである。民主々義の発達上誠に憂うべきことといはざるを得ない。
六、原判決は、控訴人(上告人)の請求中「三、被控訴人は憲法第九九条の義務に鑑み、田島拝二外六名に対し速に起訴の手続をとることを要する」に対しては、昭和二十五年四月十日東京高等裁判所民事第五部玉井裁判長(原裁判の裁判長)に提出した答申第三章に詳述した如き理由があるのに拘らず「爾余の点の判断に入るまでも無い」として却下したのであるが、之は理由を具体的に明示しない違法の判決である。
七、本件訴訟は、第一審に於て、被告(被上告人)は原告(上告人)の主張する犯罪事実の存否を全面的に認諾しているのだから、事件は既に裁判をなすに足るまでに成熟している。就ては上告趣意の如き件は決あらんことを希望する。然し、若し被上告人の第一審に於ける右認諾が、御庁に於て認め難いときは、原判決を破毀して、事件を東京高等裁判所に差戻されたい。
尚原裁判所に於て、被控訴人(被上告人)は、昭和二十五年三月六日附答弁書中に「第一審判決の法律の解釈適用は正当であるから、控訴申立の理由はない」と陳述した。依つて控訴人(上告人)は、如何なる理由でその然るかを釈明する様、同月十三日書面を以て被控訴人(被上告人)に要求した。然る処、被控訴人は、之に対して一言の応答もなさない。
そこで控訴人は公判廷に於て重ねて右要求に対する回答を求めた処、裁判長は強いて答弁せしむる必要なしとして控訴人の申立を押えてしまつた。(若し、其の際、被控訴人に答弁をなさしめ、且つ当事者双方の意見をかはすことを得しめたならば、本上告は不用となつたのであろうと思う。)そして判決に於ては、全然被控訴人が賛成した第一審判決と同様の理由を挙げ、控訴人(上告人)の請求を棄却したのである、故に原判決は口頭弁論の原則に戻り、且つ審議不十分の判決といはざるを得ない。のみならず、其のやり方は、見方に依つては被控訴人(被上告人)を曲庇したもののようにもとれ、我が国の裁判の名誉及び信用の為甚だ遺憾に堪えない。上告人は本審に於ける御審理については、其の点篤と御勘考あらんことを切望する。
附陳
上告人は、第一審及び第二審に於て陳述した事項を本審に於ても全部援用する。
以上